日中古代都城図録 改訂版
09 飛鳥地域の寺院
(1)欽明天皇の時代、552年あるいは538年に百済の聖明王が、わが朝廷に仏教を伝える。それから数十年の後、588年に当時の最高実力者であった蘇我馬子の発願により、わが国で初めて七堂伽藍を備えた本格的寺院、飛鳥寺の造営が始められる。発掘調査の結果、飛鳥寺は塔を中心にして東西と北に3つの金堂を配置する、わが国ではまれな伽藍配置をとっていたことが明らかになった。伽藍造営技術の多くを、百済から派遣された寺工、露盤博士、瓦博士、画工などの専門家に負うたことは、瓦当文様が百済の最後の首都、扶余周辺の寺院跡から出土するものと酷似していることにも如実に現れている。
飛鳥寺以後、1世紀の間だけをみても、飛鳥地域の周辺では多くの寺院の造営が進められる。近年の発掘調査で、舒明天皇の時に造営された百済大寺と思われる巨大な伽藍の跡が姿を現しつつあるが、豊浦寺、川原寺、坂田寺、桧隈寺、山田寺、奥山廃寺などの発掘により全容または一部の状況が初めて明らかにされた寺院跡も少なくない。
1 奈良国立文化財研究所『飛鳥寺飛鳥資料館図録第15冊』19862 奈良国立文化財研究所『飛鳥寺飛鳥資料館図録第15冊』19863 奈良文化財研究所『奈良文化財研究所紀要2001』26日本編1 飛鳥寺(1:2000)2 川原寺(1:2000)日中古代都城図録273 吉備池廃寺〔百済大寺〕(1:2000)