第15回「大学と科学」世界の文化遺産を護る
パキスタン・ガンダーラ遺跡の保存修復
増井 正哉
奈良女子大学生活環境学部助教授
京都大学は1957 年から中央アジアのイラン、アフガニスタン、パキスタンに学術調査隊を送り、いくつかの遺跡で発掘調査を行ってきました。私がパキスタンのガンダーラ遺跡とかかわりだしたのは17 年前の83 年です。当時、大学院の学生で、西川幸治教授が組織された調査隊のメンバーとしてパキスタンのラニガト遺跡の発掘調査に加わりました。発掘調査は92 年に終了し、その後、94 年からユネスコ文化遺産保存日本信託基金によるガンダーラ遺跡保存プロジェクトが始まると、遺跡修復に参加し、96 年から全体のマネージメントを担当しています。
ガンダーラと東西文化の交流ガンダーラというと、その西洋的な風貌の仏像が親しまれていますが、もともとはインド亜大陸北西辺境の古名で、現在のパキスタン北西辺境州ペシャワール盆地をさしています( 図1)。この地域は、インド亜大陸と中央アジアを結ぶ結節点に位置し、クシャーン朝期(1〜 3世紀)に独特の仏教文化をはぐくんだことで知られ、東西文化の交流に関心をもつ人々の関心をひきつけてきました。現在も78 石造の建造物と遺跡を護る仏教寺院址をはじめ数多くの遺跡が残っています。ちなみに、北西辺境州の州都ペシャワールはカニシカ王の都プルシャプラです。
ところで、仏教では仏陀はおそれおおい存在ですから、そのお姿を絵に描いた仏像はもともとは存在しませんでした。そのかわりに法輪、菩提樹、仏鉢、ストゥーパ(仏塔) などを拝んでいました。ところが、紀元前3世紀ごろからアレキサンダー大王の東征に従軍してきたギリシア人の王様がガンダーラ一帯を治めるようになり、ギリシア的な文物が伝わり、仏教と融合して仏像を描くようになります。それにより、ヨーロッパ風の風貌をもった独特の仏教美術が形成されたのです。その意味で、ガンダーラは仏教史上、重要なのです。
ガンダーラ遺跡とその現状ここで2つの代表的なガンダーラ遺跡を紹介しておきましょう。パキスタンの首都イスラマバードの近郊にタキシラ遺跡があります。
そのなかの代表的な都市遺跡がシルカップです。シルカップでは都市の中央に通路があり、ギリシア風の都市計画が認められます。また、ギリシアでは離れた場所にアクロポリスの丘がありますが、ここではクナーラ塔という仏教寺院がたてられています。シルカップのなかで有名なのは双頭の鷲のストゥーパです( 図2)。双頭の鷲は、イラン的な要素であるといわれています。このほか、このストゥーパにはギリシア風の要素とインド風の要素がみられ、東西文化の交流点であるガンダーラ建築の特徴を示しています。
タキシラが平地の遺跡の代表格であるとすれば、タクティ= バヒ遺跡( 図3) は山の遺跡の典型例です。ペシャワール盆地にはあちこちに小高い山があります。それらの山の上には、かならず何らかの遺跡があるといっても過言ではありません。
図2双頭の鷲のストゥーパ伽藍は中央の塔院を中心に周囲の尾根上に広がっています。(以下本文へ)