第15回「大学と科学」東南アジア考古学最前線
石澤 良昭
上智大学アンコール遺跡国際調査団長・上智大学外国語学部教授
アジアの考古発掘と21世紀過去の文化価値体系が集積された考古発掘アジアの考古発掘研究は、巨大文明を除きこれまで対象別・地域別・時代別的に考えられてきましたが、これまでそれらを世界史の文脈、もしくは文明史の流れのなかで考え、位置づけ、価値づけ、そして評価することは多くありませんでした。考古学そのものは人文科学系に属し、それだけで完結してきました。日本国内では最近、三内丸山遺跡や飛鳥池遺跡の発掘などで空前の考古学ブームを引き起こしています。各地の考古遺跡には多くの訪問者が集まり、熱心に質疑応答が行われています。こうした多数の愛好者や観光客が考古遺跡や史的記念物を見物するのにともない、看板の整備からはじまり、インフラの整備、景観の保全、文化観光とその対策、文化施設の充実が求められ、観光と考古遺跡保護との間に緊張関係がつくりだされてきました。
経済大規模開発にともなう考古発掘考古学およびその隣接諸科学研究は、21 世紀の時代の要請に応える学問体系です。なぜ私たちはアジアの考古学を科学するのでしょうか。21 世紀は地球の一体化が進行すると同16 基調講演時に、民族・人口・食糧・環境などの世界的な諸問題が噴出してくる時代となるでしょう。
こうした問題が身近に迫ってくると、過去の物質文化や考古遺跡を見直そうという気持ちが起こってきます。そして、考古出土品や現地に復元された往時の建造物を観察しながら、私どもは自分たちのより遠い過去の祖先の生活や、そのなりわいに思いを寄せる旅人となるのです。
世界では1950 〜 60 年代にかけてアジア諸国の多くの国が政治的独立を達成し、その後、彼らは第3世界として先進諸国に追いつくため重厚長大の経済開発を急いで実施してきました。それにより貧困から抜けだしてより豊かな生活を夢みていました。こうしたアジア諸国における大規模な経済開発は、どこでも直接的に、間接的に考古発掘がともなうと同時に新発見につながることが多くなっていました。
また、重要な考古学遺構であるため、建設計画の変更や工事の中止などがしばしばありました。そして、地域住民からは考古遺跡を守れというキャンペーンが繰り広げられてきました。例えば、エジプトのアスワン・ハイダム(Aswan High Dam) 建設(1960 〜 70) にともない考古発掘とアブシンベル(Abu Simbel) 神殿の移設(1964 〜 68) が提起され、その機会に人類のかけがえのない文化遺産・記念物を保全しようとするキャンペーンが叫ばれました。同時並行して、各地のS.O.S. 自然・文化遺産運動がもりあがり、やがてユネスコにより『世界遺産条約』(1972 年採択)としてまとめられました。
グローバル化と固有世界存続を証明する考古学世界的諸問題は地殻変動をともなった激動の波を起こしつつ、通信・交通手段のIT 革命(Information Technology Revolution) や市場経済の世界化が、地球の一体化( グローバリゼーション)が進むなかで展開されています。これらの世界的諸問題は同時に、歴史的・考古的遺産を含んだ各地域において開発優先か、保存優先かという衝突を引き起こしつつあります。こうした地球の一体化は、大きな流れとして一種のアメリカナイゼーションであり、アメリカ発の諸基準が世界を支配しているといえます。地球化・世界化に対抗して考古発掘や歴史研究は民族的独自性(National Identity) および文化的多様性(Cultural Diversity) を考えるきっかけをつくりだし、それが地方のレゾレ・デトル( 存在理由)を主張するひとつの考え方としてとらえられてきました。(以下本文へ)