第19回「大学と科学」不思議な生物現象の化学−生物現象鍵物質−
『不思議な生物現象の化学― 生物現象鍵物質―』代表挨拶
名古屋大学大学院理学研究科教授 上村 大輔

この「大学と科学」公開シンポジウムは、文部科学省科学研究費補助金でまかなわれている研究プロジェクトの成果を、社会に発信することを目的として始まりました。本シンポジウムでは、私たちが平成11〜14年度にかけて、特定領域研究「未解明生物現象を司る鍵化学物質」というテーマで展開してきた研究プロジェクトの研究成果を紹介させていただきます。なお、平成15年度には特定領域研究成果のとりまとめを行い、その結果を報告書として提出しております。

天然有機分子の出現と自然科学の発展

私たちは、重要天然有機分子の出現が自然科学の飛躍的な発展につながると考えています。たとえば、フグ毒のテトロドトキシンの化学的構造が明らかになった1964年以後、神経生理学が大きく発展しました。また、1966年に発見されたプロスタグランジンは、恒常性生理学の進展に大きく寄与し、なかには医薬品として応用されているものもあります。さらに、アバーメクチン類は1979年に北里大学の大村智先生らによって発見され、アフリカの風土病オンコセルカ症の克服に貢献し、WHO が力をいれている線虫に起因する河川盲目症を撲滅したことで有名です。そしてオカダ酸は、その名前は分離源のカイメン動物の学名に由来していますが、1981年に構造決定され、リン酸化による情報伝達の理解につながりました。この物質がなかったら、リン酸化の化学の大きな発展はなかったといわれているほど重要なものです。
これら天然有機分子の化学は、日本が得意とする、オリジナリティーの高い独創的・先導的な研究分野です。この分野をさらに推進させようというのが、私どもが展開してきた特定領域研究の主旨です。つまり、生物現象の自然科学的理解、鍵化学物質解明への戦略ということです。
最近は新しい骨格、新しいカテゴリーに属する物質を見つけることは非常に難しくなってきました。以前は、植物や漢方薬に含まれている有効成分を探しだせばよいという時代でした。今の時代には、バイオアッセイ系を新しく組んでランダムに化合物を流し、目的の物質を得ることも考えられますが、しかしそれでは新しい骨格の物質を見い出すことはできません。
私たちは、どうしたら新しい骨格の物質を発見することができるかを考えて、未解明の生物現象に着目しました。そのような生物現象を解明することによって、新しい物質、新しいカテゴリーの化合物を見い出せば多くの研究者が興味をもってくれて研究が進展すると考えました。私たちの研究分野では、現象を理解することも重要ですが、そこから見い出される物質が、新規か既知か、ある意味では0か1かの世界だといえます。未解明生物現象を司る鍵化学物質は非常に短寿命であり、稀少であり、またはそれらが複合した系であると予想され、それをうまく単離できるかどうか、まったく定かでないものも多くあります。