第19回「大学と科学」細菌はなぜ病気を起こすか−ゲノムの特徴
各種の病原細菌のゲノムに関する説明にはいる前に、細菌とはどんな生物か、病原ゲノムとはどういったことか、これまでにどのようなことがわかり、今後はどのようなことを明らかにする必要があるかという点について簡単に説明させていただきます。

ヒトと病原細菌の歴史
細菌は、直接肉眼ではみることができない小さな「単細胞の微生物」です。多種多様な微生物が地球上の生命現象をになっていますが、その世界をみて、そこで営まれる生命現象に何らかの科学的な法則性を見い出すことが微生物学研究者の務めです。
微生物がヒトや動物などの「宿主」に寄生し、そこで増殖することを「感染」といい、その結果宿主に起こる病気を「感染症」といいます。
感染症は地球上に高等生物が発生したときから、その進化とともに存在しています。しかし、ヒトの感染症が微生物によって起こることが明らかになったのは、今からわずか150年ほど前のことでしかありません。天然痘やペストなどは歴史的な記述として古代エジプトにもみられますが、その原因となる目にみえない微生物を最初にみえるように工夫したのはオランダのレーベンフックで、1675年頃のことです。その約200年後の1850年頃、英国のゼンメルワイスやリスターは、その当時には高い死亡率を起こしていた産褥熱(さんじょくねつ、出産後の子宮内感染)の発症を、手洗いや石炭酸による「消毒」で予防できることを発見しました。しかし、微生物が「病原体」であることを発見し証明したのは、1880年頃のパスツールやコッホら、先駆者たちです。
つまり、病原細菌の存在が確かめられてから、まだ125年ほどしか経っていません。細菌より小さい病原ウイルスは1935年以降になって発見、同定され、その研究の歴史はまだ70年しか経過していません。そして今なお、新興感染症の原因微生物が続々と発見・同定されています。
ちなみに、病原微生物を制圧する方法として、ワクチンとしては1798年にジェンナーにより種痘が開発され、抗生物質は1929年にフレミングによりペニシリンが発見され、1950年以降になると多くの抗菌薬が実用化されてきました。
35億年前に地球上に生物が誕生し、それ以後、多種多様な生物が進化して現れ、今から300万年ほど前には人類が出現しました。現在、何種類の生物が地球上に存在しているかわかりませんが、それらが生きていること、すなわち「生命」は、過去35億年間、同じような法則に基づいて連綿と継続され、営まれています。生命は突然に発生するのではなく、個体から個体へ継承(継代)され進化して、今日の多様な生物が存在します。生物は生命の基本的な機構を忠実に継承しながら、しかし、少しずつ独自の変化を加えながら、今日のように多様な形態が生まれてきたと考えられます。この歴史を考えると、私たちが微生物の存在を知ったのが、いかに最近のことであるかがわかります。
今回研究対象としている大腸菌や赤痢菌などの病原細菌は、いつのころからかヒトへ好んで寄生し、継代されてきました。細菌はヒトの体内でヒトの「感染防御機構」と攻防戦を繰り広げながら、生き残りを図ってきました。
病原細菌は病原因子をもっていますが、それは細菌が生存するために必須なものかもしれません。あるいは宿主へ病気を起こすことが生存に必須なことかもしれません。また、ヒト側も感染をうけることで、何らかのメリットを得て、それを継承しているのかもしれません。宿主と寄生細菌は相互に作用しあって、双方が進化(共進化)していると考えられます。
人類は細菌についての知識を得て、まだ200年ほどしかたっていませんが、細菌とヒトとの共生関係の歴史は無限大に近い長さです。この長い歴史の出来事を、「ゲノム」から解き明かすことがこの「ゲノムプロジェクト」の目的です。