こころの病・脳の病−2005世界脳週間の講演より−
 最近の研究によると、十人に一人は長い生涯の間、少なくとも一度はうつ病になると
いわれています。私たち自身もかかる可能性がありますし、周りの家族や親族、友人や
同僚も、生涯の間に何回か、うつ病になることがありえます。今回の講演を通して、う
つ病とはどんな病気か、現代の精神医学がどう理解し、どのように治療しているのかと
いった知識を得ていただけたらと思います。

うつ病はたいへんポピュラーな病気です

 うつ病の生涯有病率は高く、女性は一○?二五%、男性でも五?一二%といわれています(表1)。また、うつ病の時点有病率は女性で五?九%、男性で二?三%という高い値となっています。著名人にもうつ病の経験のある方は多く、たとえば優れた小説家、エッセイストである開高健は、生涯の間、何回かうつ状態に陥ったといわれています。開高健と同じ昭和一桁世代の作家の吉行淳之介、北杜夫もうつ状態になったことがあることがよく知られています。ドイツの文豪ゲーテもうつ状態になっています。少し前に、落語家の桂枝雀さんが、最近ではコメディアンのポール牧さんが、うつ病で自殺されました。
 うつ病は社会的にさまざまなインパクトを与えていますが、その一つに自殺があります。平成十年以降、毎年三万人以上が自殺されています。人口十万人あたり二十四件となり、米国の二倍、英国の三倍という高い値になっています。この自殺された方を精神医学的に診断すると、「診断なし」は一割以下で、九割以上が「何らかの診断があり」となるといわれています。そのうち一番多いのが、うつ病などの気分障害(四?八割)です。ついでアルコール依存症などがあります。うつ病になって自殺される方が多く、特に最近では壮年期の男性の自殺が増加して大きな社会問題になっています。

うつ病の診断法

 うつ病と、普通の落ち込み、誰でもが体験するブルーな気分との違いについて説明しましょう。ストレスがかかると誰でも気分が滅入って、体調もすぐれなくなりがちですね。「テストの失敗」、「部活のストレス」、「失恋」などで落ち込むことはよくありますが、それと、うつ病は一緒ではありません。この違いをご理解いただくために、うつ病の診断法について説明します。
 現在までのところ、日常診断で利用可能なうつ病診断の特異的な検査方法は開発されていません。もちろん、診断法の開発は進んでいます。たとえば、徳島大学の先生方がうつ病の診断に役立つDNAチップを開発され、私ども国立精神・神経センター武蔵病院も徳島大学と共同で、臨床的にどれくらい使えるかという研究を行っていますが、まだ開発途上といわざるをえません。うつ病を診断するためには、何か検査を行うのではなく、臨床症状に基づくことが必要です。
 人間にとって大事な精神機能として「知・情・意」がありますが、うつ病では「知・情・意の障害」と「身体の症状」が生じます(表2)。情(気分)では、憂うつで、気が晴れない、もの悲しい、不安感などの症状がでます。意(意欲)では、何をするのもおっくう、興味をもてない、根気が続かないという症状がでます。知(思考)の面では、考えがまとまらない、決断できない、理解力の低下があります。新聞を読んだりテレビをみても内容が頭にはいりませんし、主婦の方だと献立がなかなか決められなくなりがちです。考えが堂々巡りをして、調子がすぐれないことで自分を責める(自責感)ことになりがちです。人間にとってたいせつな「知・情・意」がうまく機能しなくなり、そうした自分を責めるのですから、ご本人のつらさはいかばかりかと思われます。加えて、身体症状もでます(表2)。特徴的なのは不眠です。寝つけない入眠障害もありますが、うつ病で特徴的なパターンは、中途覚醒です。つまり、何とか寝つけるのですが、何回も目が覚めてしまい、そのあとなかなか眠れなくなってしまいます。また、早朝覚醒も特徴的です。定義として、いつも起きる時刻より二時間以上前に起きるのが早朝覚醒です。さらに、食欲低下と体重の減少、性欲の減退がみられ、