文化財の保存と修復 15−日本における「西洋画」の保存修復
開会挨拶
文化財保存修復学会長 三浦 定俊

 お早うございます。本日はお休みのところを多くの方々にご参加いただきありがとうございます。本シンポジウムは今年で15回目を迎えますが、今回、初めて西洋画をとりあげました。西洋画には、広くテンペラ画まで含めることがありますが、普通は西洋で描かれた油彩画を指し、今日お話しする内容も油彩画が中心です。最初に特別講演をいただく青柳先生のタイトルは「西洋壁画の保存修復」ですが、そのご講演のなかではフレスコ壁画を含む西洋のさまざまな絵画が登場すると思います。
 まず、15年目にして、なぜ西洋画の保存修復をとりあげたのか、その理由について一言、お話しさせていただきます。

わが国の文化財保護制度における西洋画の保存

 私ども文化財保存修復学会は1995年に古文化財科学研究会から改称して、今年5月15日現在の会員数は1,164名です。ちなみに、もとになった古文化財科学研究会の歴史をさかのぼると、昭和8(1933)年に古美術保存協議会が発足したのがはじまりで、そこから数えると、来年80周年を迎えます。
 昭和初期の古美術保存協議会の会員の多くは、第二次世界大戦前から法隆寺金堂壁画の保存や戦後の中尊寺金色堂の保存、藤原氏三代のご遺体の保存などに携わって研究活動を進めました。そのように学会の初期は、わが国の美術品の保存修復に関する活動が中心でした。このことは、わが国の文化財保護制度の制定と関係しています。ご存じの方も多いかと思いますが、明治30(1897)年に『古社寺保存法』が、昭和4(1929)年に『国宝保存法』が制定され、この少し後に本会の前身である古美術保存協議会が設立されています。そして、昭和25(1950)年に『文化財保護法』が制定されますが、このような文化財保護の流れに沿って本学会は設立され発展してきました。
 文化財保護制度は当初、主に日本美術と東洋美術を中心として進められてきましたが、文化財保護法制定から約20年後の昭和42(1967)年に、青木繁の『海の幸』が西洋画として初めて重要文化財に指定されました。わが国における文化財保護制度下の西洋画の保存は、日本美術品、東洋美術品などに比べて大変遅れてはじまったのです。
 西洋美術を専門とした美術館の設立をみると、第二次世界大戦前の昭和5(1930)年に大原美術館が設立されています。その後、昭和27(1952)年にブリヂストン美術館が、昭和34(1959)年に国立西洋美術館が設立されます。一方、現在の東京国立博物館の前身である帝国博物館は明治22(1889)年に設立されていますので、今ではすでに120年を越えています。それに比べれば美術館としての西洋画の収集や保存修復への本格的な取り組みは、わが国では半世紀ほど前にようやくはじまったといえます。

西洋画の修復の歩み

 美術館ができ西洋画の保護制度が確立される以前、わが国における西洋画の修復はどうなされていたのでしょうか。このことについては本日お話しいただく歌田眞介先生が説明されると思いますが、昔は西洋画の修復は制作と分かれていませんでした。専門の修復者ではなく絵描き、画家の仕事であった時代が続いたのです。
 では、わが国において、いつ西洋画の修復が絵画制作から独立したのでしょうか。現在、多くの西洋画の修復家が活躍されていますが、そのような状況にいつ動き出したか、あるいは流れができたのでしょうか。
 その点については、2006年に刊行された本学会の学会誌第50号に掲載されている、座談会「日本の油絵修復の歩みの中で」という記事が参考になります。この座談会には、本日お話をいただく歌田眞介先生、山領まり先生のほかに、小谷野匡子先生も出席されています。残念ながら森田恒之先生はこのときは外国出張中で参加されていませんが、森田先生を含めた4人は、1950年代末から60年代後半にかけて東京藝術大学の寺田春弌先生のもとで油絵の材料・技法を学ばれておられます。ほぼ同時代には、国立西洋美術館に勤務され、その後、修復家として独立された黒江光彦先生がいます。これらの方々は、西洋画の修復は専門家が行うべきで、そのことが作品の保存・保護につながるという考え方のもとに理論や技術を学ばれて、わが国で保存修復の仕事に携わり、一方で本学会の活動を牽引されてきました。この先生方を中心に、現在の姿の西洋画の保存修復がはじまり、本学会と西洋画の保存修復との関係も深くなったといえます。

西洋画修復 この半世紀

 この半世紀、わが国における西洋画の修復活動を牽引されてこられた方々のお仕事を今、あらためて振り返ってみると、次の5つの項目にわたっているといえます。まず、1番目は修復技法の研究です。たとえば、小谷野先生はニューヨーク大学に留学され、森田先生や黒江先生はベルギーの王立文化財研究所にいかれ、欧米の修復技法を学んでおられます。
 2番目は、西洋の材料の研究です。また3番目として、修復には欠かせない画家の技法の研究もあげられます。どの方々も修復技術だけでなく、材料や技法にも多くの力を注いで研究されています。たとえば、西洋画の材料に関して、森田先生は名著であるゲッテンス、スタウトの『絵画材料事典』を訳され、今ではその訳本も古典的な本になって、西洋画の研究をする人にとって必読の書になっています。また、歌田先生は高橋由一を中心とした明治前期の油絵の材料・技法の研究を行い、脂派と呼ばれて評価の低かったそのころの油絵を再評価し、専門書からわかりやすい新書までいろいろな本として出版されています。
 さらに4番目として、修復はいかに素晴らしいものか、いかに大事な仕事であるかといった広報活動にも、これらの先生方は力を注いでこられました。たとえば、修復に携わる多くの方が読まれたことがあると思いますが、黒江先生はご自身の体験をもとに美術出版社から『よみがえる名画のために』を上梓されています。私自身も学生時代、興味を持って一気に読んでしまった本です。これらの先生方の努力のおかげで、現在のように修復への評価が高まり、広がっていったと思います。
 5番目は人材の育成です。多くの先生は工房を持たれ、工房で弟子や研修生を受け入れて育てています。また、大学に勤務された先生や博物館・美術館に所属された先生は、それぞれの組織の中で人を育てられました。特に歌田先生は、1995年に東京藝術大学大学院文化財保存学専攻にできた保存修復(油画)研究室で、多くの人材を育成されました。今日お話をいただく木島先生がその後を継いで、修復を志す学生を育てておられます。
 これらの先生方がわが国における西洋画の修復に力を注いだ結果、今の姿があります。しかし残念なことに、わが国では保存修復家を抱える博物館・美術館がきわめて少ないのが現状です。このことについては、伊藤先生、相澤先生からお話があるかもしれません。
 今日のシンポジウムでは、わが国における西洋画の保存修復50年の歩みと、現状についてお話しいただくことにしております。本シンポジウムが、わが国の西洋画の保存修復の歩みを振り返り、これからの発展を考えるよい機会になればと思っております。ご来場の皆様には、どうぞ一日お話をお聞きいただければ幸いです。これで私からの開会にあたってのご挨拶とさせていただきます。