文化財害虫事典 2004年 改訂版
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紙や織物、あるいは木、竹など植物素材を材料とする文化財の大敵は火災と害虫である。コンクリートの収蔵施設が尊重されたのは、主としてこの火災から文化財を守る効果の大きさからであった。しかし、それでもコンクリートの施設に収蔵されない文化財は数多く存在し、仮にそのような施設が出来たとしても、害虫の問題から文化財が解放されたわけではなかった。1940年代の頃だと思うが、その頃には文化財、特に古文書が失われる量は火災よりも害虫に依るところが多いと云われていたと記憶している。その対策として薬剤の開発と使用が進むのは自然の成り行きであり、臭化メチルが大量の文化財を、あるいは大きな空間の害虫の駆除を一時に行えるものとして便利に使用されたのも、また当然の成り行きであったであろう。様々な場所と施設との間で多様な文化財の搬出が常時行われる博物館施設では、燻蒸室を設けるのが常態となっていることもこの間の事情を物語るものである。しかし薬剤の使用とその効果には一定の限界があることも事実であり、臭化メチルのような強力な薬剤の使用があっても害虫の施設内への侵入や食害の危険から文化財が解放されるということにはならなかった。そのような文化財保存の現状において、臭化メチルの使用が先進国においては2004年末に全廃されることになった。臭化メチルがフロンガスと同様にオゾン層の破壊につながるというのがその理由である。 この事実を受けて博物館関係者の間にIPMという文化財の保存管理技術が俄に意識されるようになった。IPMは総合的害虫管理と訳されているが、要は文化財の保存施設を汚染しないような薬剤の使用を含め、我々自らが文化財の保存施設を日常的に観察、管理することよって文化財を虫害から守ることをなすことである。このIPMが一定の効果をあげてゆくためには博物館や文化財保存関係者が文化財の害虫とその周辺の知識を身につけ、時に応じ、場に応じて対処してゆくことが必要である。IPMは文化財の保存管理にとって人の果たす役割の大きさを再確認させたともいえる。東京文化財研究所はこれまで学芸員を中心に、博物館等の関係者に文化財を守る観点から、施設の安全性確保に関する必要な知識の提供や研修にかかわってきたが、文化財保存管理の新しい状況に対処するための必要な知識を提供することが、研究所に課せられた社会的責任を果たすことにもなると考えて編まれたものが本書である。内容は具体的であり、かつある事実の認識から必要な知識へとたどりつけるように現場向きに編集されている。博物館関係者だけでなく美術品蒐集家にも広く利用されることを願っている。 平成13年12月吉日 東京文化財研究所長 渡邊 明義 |