文化財害虫事典 2004年 改訂版 総論
木材や紙でできている日本の文化財は虫やカビによって傷みやすく、光などによる日常的な劣化に比べてきわめて早く進むため、昔から被害防止のために曝涼が行われてきた。およそ20年前からは、短時間で確実に殺虫できる燻蒸剤として臭化メチルが広く用いられてきた。しかし、臭化メチルはオゾン層保護のために先進国では2004年末に全廃されることが決まり、すでに1999年から削減が始まっている1、2)(表1)。
 これまで多くの博物館施設では、文化財の殺虫・殺菌のために臭化メチルと酸化エチレンの混合薬剤が燻蒸剤として用いられ、定期的に燻蒸が実施されてきた。この酸化エチレンについても発がん性が指摘されていることから、薬剤のみに頼った害虫対策全般の見直しを迫られ、現在、日本の生物被害対策は大きな方針転換の時期を迎えている。ここでは、今後の生物被害防止のあり方を考えるために重要な日常管理の方策について解説する。
1 基本的考え方
 地球環境保護と人間の健康への配慮は、近年の世界的な動きであり、文化財保存の分野も例外ではない。多くの国では文化財に被害が生じてから対策をたてていた従来の駆除中心の対策にかわり、被害を未然に防ぐ予防対策を重視する考え方に移りつつある。これに関して、最近、IPM(Integrated Pest Management:総合的害虫管理または総合的有害生物管理)注1)という言葉を文化財分野でも目にすることが多くなっている。これは、大規模燻蒸を中心とした従来の方法の欠点を克服し、あらゆる有効な防除手段を合理的に併用し、有害生物を施設内にいれず、カビも生育させないという予防を第一にして、被害が発生した場合でも、できるだけ地球環境や人間の健康に考慮した駆除方法をシステマチックに採用していこうとする方法である。
 このIPMを導入するためには、次にあげる項目を計画的に実行していくことが求められる。すべての項目を短期間に実行する必要はないが、それぞれの施設に応じて、毎年どこまで実行するかという計画をたて、日頃の積み重ねのなかで着実に整備していくことが重要である。
 被害歴の集積と整理
 施設の日常点検と清掃
 文化財の日常点検
 文化財管理体制の整備
 組織内外での研修
 専門家を含む外部との協力体制
 できるだけ薬剤を使わずに生物被害を防いでいくためには、生物被害対策について正しい知識をもった保存担当者をおいて、上記の項目全体が計画どおり実行されているか、計画に無理はないかといった見直しを常に行いながら進めていくことがたいせつである。また、すでに燻蒸設備をもつ施設では、代替法を利用できる設備に転用するとともに、これまでの燻蒸予算を燻蒸だけに限定せず、生物実態調査など予防のための経費として柔軟に運用し充実させていくことも求められている。