第15回「大学と科学」昆虫から学ぶ生きる知恵
脱皮や変態を調節するホルモン
片岡 宏誌
東京大学大学院新領域創成科学研究科教授
はじめに
昆虫の生活環私どもが研究材料として用いているカイコの一生を図1に示します。卵から孵化した幼虫はクワを食べて成長し、ある程度成長すると脱皮を行います、さらに成長し、脱皮を繰り返して5齢幼虫になると、糸をはいて繭をつくります。この繭のなかで幼虫から蛹へ、蛹から成虫へと変態します。そして、繭を破成 虫 卵 1齢幼虫2齢幼虫蛹 3齢幼虫5齢幼虫4齢幼虫繭 ってでた成虫が交尾して次世代の卵を産みます。カイコはその一生に幼虫、蛹、成虫という完全変態を行います。昆虫の生物としての特徴のひとつとして、成長過程の変態をあげることができます。もし、キャベツにつく青虫がモンシロチョウの幼虫であることを知らなければ、青虫とモンシロチョウをみたとき、とても同じ生き物であるとは考えないのでは図1カイコの生活史ホルモンが支える昆虫の一生ないでしょうか。変態は葉っぱを食べていた幼虫から、子孫を残すアラタ体 ための翅をもった成虫へのあまりにも劇的な変化であり、どのよう脳 な機構で進むのか、その機構がいかに調節さ図2脱皮・変態はホルモンによって制御されている前胸腺 ホルモン産生器官の摘出結紮による血流の遮断 ホルモン産生器官の移植れているのかということが、これまで多くの科学者を魅了してきました。昆虫の変態はホルモンが調節している昆虫の脱皮や変態がホルモン( 液性因子)によって調節されていることは、ポーランドのカペッチ(Kope´c) によって、1922 年に最初に示されました。ところで、ホルモンとは次のように定義されています。すなわち、身体の特定の部位で産生され、血液によって運搬され、運搬された器官や組織で種々の生理作用をもつものです。さて、カペッチはマイマイガの幼虫の頭胸間を縛り、頭部を切断して胴体が蛹になるかどうかを調べるといった素朴な実験から、「脳から分泌される液性因子が幼虫から蛹への変態を促進する」ことを発見しました。実際に、幼虫を結紮といって、身体のさまざまな部位を縛って血流を遮断すると、一方にホルモン産生器官がある場合、もう一方にホルモンが流れなくなり、そのホルモンの影響をうけなくなります。この結紮実験で、幼虫の体の前半部にホルモン産生器官が存在することがわかり、結紮した後半部にホルモン産生器官を移植すると、後半部もホルモンによる影響をうけることが判明しました。このように、器官の摘出・結紮・移植により、昆虫の脱皮・変態が脳、アラタ体、前胸腺から分泌されるホルモンによって制御されていることが次第に明らかになってきました(図2)。脱皮・変態のホルモン調節機構通常のカイコであれば5齢幼虫になると糸をはいて繭をつくりますが、4齢幼虫から脳と神経軸索でつながったアラタ体を摘出すると、少し小さめの繭ができ、そのなかで小さめの蛹となり、小さめの成虫がえられます。そして、3齢幼虫のアラタ体を摘出しても、さらに小さめの繭、蛹、成虫がえられます。アラタ体を摘出することにより、本来は幼虫脱皮をすべき幼虫が蛹へ変態することから、変態を抑制するホルモンがアラタ体から分泌されていることが推測されました。また、結紮実験により、前胸腺から脱皮促進ホルモンが分泌されていることが証明されました。例えば、まもなく蛹になる5齢幼虫の首のすぐ下近傍で結紮すると、結紮部位より前半部は蛹の表皮をつくりますが、後半部はそのままです。そして、結紮する位置を下げても、ある部位までは蛹の新しい表皮をつくるようになり、後半部はそのままですが、そこにほかの幼虫から前胸腺を移植すると、後半部でも同様に蛹の表皮を形成するようになります。このことは、前胸腺から脱皮・変態を促進するホルモンが分泌されていることを示唆しています。(以下本文へ)