第18回「大学と科学」微生物はなぜ病気を起こすか−ゲノムの特徴−
化膿性疾患を起こすグラム陽性球菌にはさまざまな細菌種(表1)がありますが、ここでは黄色ブドウ球菌とA 群溶血性レンサ球菌について、その病原性とゲノム構造の特徴についてお話しいたします。ここに述べる研究成果は、黄色ブドウ球菌については平松啓一(順天堂大学)および大田敏子(筑波大学)らのグループが、溶血性レンサ球菌については浜田茂幸(大阪大学)らがすでに公表したものの一部分です。

「化膿」の病態
皮膚の「切り傷」や「擦り傷」を消毒せずに放置しておくと、傷口周囲が赤く腫れ、痛みと熱感があり、黄色い膿がたまることがあります。これが化膿性炎症です。細菌が皮下にはいって急速に増殖し、それを防ぐために白血球などの防御細胞が集合して細菌を処理(貪食し殺菌する)しますが、その攻防が炎症(発赤、腫脹、疼痛、発熱が4 徴候)を起こし、その攻防戦場の跡が化膿創・膿瘍となります。このような病態を起こすのは、細菌の病原因子と宿主の感染防御の機構が複雑に攻防する経過です。図1 は、その過程を簡単にまとめたものです。通常は無菌状態にある皮下・粘膜下・結合組織へ細菌がはいると、細菌は急速に増殖し始め、毒素や酵素を産生します。一方、宿主の組織には異物を貪食する白血球(多核白血球やマクロファージ)が巡回しており、それが増殖している細菌を貪食します。貪食した白血球は炎症を起こす物質(ケミカルメディエーター:ヒスタミンやキニンなど)を放出し毛細血管を拡張させ、透過性を高め、さらに白血球を増員するための因子(化学遊走因子)を放出し、血球細胞を局所へ集合させます。また、細菌の表層構造物(多糖体)は血清成分の凝固因子や補体を活性化します。このようにして、細菌と宿主細胞の攻防戦の過程で、局所が赤く腫れ、熱感があり、痛みを生じます。これが急性炎症です。
炎症が一定の場所に限局すれば、いいかえれば、宿主が細菌の増殖を封じこめることができれば、その戦いの跡が化膿・膿瘍を形成します。細菌の増殖を押さえこめなければ、細菌は血流やリンパ管から全身へ散布され、転移膿瘍や敗血症となります。

グラム陽性球菌
このような病態を起こす代表的な細菌を化膿性細菌と総称しますが、なかでも、グラム陽性球菌(グラム染色法で紫色に染まる球状の細菌の総称)はその典型的なグループです。表1 にそのグループの細菌の種類をまとめました。この分類の呼び方は臨床細菌学で利用されますが、近年は遺伝子解析による新しい生物学的な分類法ができあがり、系統としてFirmicutes、低GC 含量の細菌、となりました。近縁の病原細菌にはリステリア、炭疽菌、破傷風菌・ウェルシュ菌などのクロストリジウム、乳酸菌などがあります。
化膿症を起こすグラム陽性球菌群の代表として黄色ブドウ球菌とA 群レンサ球菌があります。顕微鏡で観察したとき、ブドウ房状に集合するものをブドウ球菌(図2 左)、数珠の鎖のように配列するものをレンサ球菌(図2右)と大別します。さらに、ブドウ球菌のなかで黄色色素(カロテノイド)を産生するものを黄色ブドウ球菌、色素を産生しないものを表皮ブドウ球菌、腐性ブドウ球菌と分類します。その他にヒトへは病原性が少ないものがあります。レンサ球菌のなかにもさまざまな種類がありますが、そのなかで赤血球を溶かす活性のある菌を溶血性レンサ球菌と総称し、グループとしてA、B、C、D 群、口腔内レンサ球菌、ラクトコッカスなどがあります。
ヒトの皮膚や粘液の表面には、多種多様な細菌(皮膚、粘膜、腸管内に約100 種類、総計600 兆個の細菌)が共生し、常在しています。たとえば、ヒトの片手には約106 〜 108、100 万から1 億個の細菌が棲みついています。通常、これらの細菌は宿主の皮膚や粘膜を保護していますが、その棲む場所がかわれば宿主に害を及ぼします。黄色ブドウ球菌やA 群溶血性レンサ球菌はヒトの皮膚や粘膜に常在しますが、皮下や深部組織・血液などにはいると病原性を発揮し始めます。これらの菌種は1844 年に発見され、化膿性疾患の主要な原因細菌として、歴史的には死亡率の高い感染症を起こしています。1941 年、ペニシリンが実用化されてから、この治療が可能になりました。以後、次々と抗菌薬(抗生物質)が開発され、これらの細菌による感染症は制圧できたかにみうけられました。しかし、黄色ブドウ球菌は新しい抗菌薬に抵抗する性質(耐性)を比較的容易に獲得してヒトへの感染を繰り返しており、近年の問題は薬剤耐性黄色ブドウ球菌による院内感染です。A群溶血性レンサ球菌は猩紅熱の原因菌ですが、80 年後半ころから劇症型感染といわれる急速に組織壊死と敗血症が進展し治療が間にあわないで死にいたる例が発生し(人食いバクテリアとも呼ばれています)、また、リュウマチ熱や糸球体腎炎などの続発性を起こすことが問題視されています。これらの菌種の特徴の概略を表2 にまとめました。これらの性質(形質)は、分離される菌株(臨床分離株)により多様性があり、また、新しい性質(薬剤耐性などを含む)が見い出されることもあり、それぞれの細菌の基本的な遺伝子設計図(全ゲノム構造)を解明しなければ、上記の問題点の解決の糸口が見い出せません