第18回「大学と科学」科学が解き明かす古代の歴史−新世紀の考古科学−
はじめに
考古科学の研究分野は、いつごろから始まったのでしょうか。18 世紀にはヨーロッパの科学者たちがコインなどを化学分析していたことを考えますと、200 年の歴史があるということもできますが、本格的に考古科学研究を始めたのはエイトケン(Martin. J. Aitken)ではないでしょうか。1958 年、オックスフォード大学に“Research Laboratory for Archaeologyand the History of Art”を開設し、『Archaeometry』という研究誌を定期刊行しています。このArchaeometry を「考古計測学」と訳すのが普通のようですが、ここでは「考古科学」と訳させていただきます。本格的な考古科学研究の拠点第1 号ともいえそうだからです。75 年からは隔年で国際会議「Archaeometry」を開催されています。ぜひ、日本でも開催してほしいとの要望はありましたが、今のところまだ実現していません。
アジア地域におけるこの種の刊行物には、中国上海博物館が発行する『文物保護の為の考古科学』があります。89 年に刊行され、年2 回発行されています。考古遺物の分析か保存にいたるまで、各種の論文が掲載されています。

考古科学研究小史

わが国における考古科学研究は、すでに19世紀末に始まっていました。それは、考古資
料の分析化学的な研究が中心でした。東京大学の前身である開成学校の地質学・金石学の教授として赴任した米国人、H. S.マンローは日本で初めて銅鐸の分析を行い、1877 年2 月にニューヨークの学会で発表しています(佐原眞、「銅鐸研究史の資料若干」『歴史と考古学─ 高井悌三郎先生喜寿記念論文集』、1988)。実際に化学分析を担当したのは日本人学生でした。また、東京・大森貝塚を発見した動物学者、E. S.モースも1881 年に大型銅鐸の分析結果を報告しています。日本人、辻本謙之助が「青銅製品の成分分析」を発表したのは1900年のことです(山崎一雄、「美術史及び考古学と化学の境界」『化学と領域』第7 巻第3 号、1953)。
考古科学の研究で、日本の考古学分野に旋風を巻き起こした研究のひとつに放射性炭素年代測定法があります。ご承知のとおり、米国の化学者、リビー(Willard Frank Libby)によって確立された年代測定法です。同法が日本で注目を集めるようになったのは、1958 年に測定された神奈川県横須賀市沖合の夏島貝塚の測定結果でした。縄文時代早期の貝塚が発掘調査され、それまでの考古学的な研究成果で6,000 年前の遺跡といわれていたものが、貝殻と木炭資料の測定値からおよそ9,500 年前と発表され、考古学界に大きな波紋を投げかけました。
自然科学的手法の考古学への応用は、概してこのような意外性のある測定値が与えられ、議論が深められていく場合が多いようです。考古科学的研究のもうひとつの分野に、保存修復科学の研究があります。1972 年、奈良県所在の高松塚古墳の発見が契機となって保存への自然科学的手法の応用が重要視され、考古科学分野がクローズアップされました。考古科学分野で保存修復科学が本格的に活動するのは、70 年代前半になってからだと思います。
国土のいたるところで遺跡の発掘調査が行われるようになり、それにともなって出土品の数もおびただしく、その科学的保存処理が求められるようになりました。遺跡で発見される木製遺物は、出土品のなかでも出土量が多いもののひとつです。1972 年、愛媛県松山市の古照遺跡から川を堰き止めるための木材が約2,000 本発見されました。じつは、この木材は水浸出土木材(water-logged wood)と呼ばれ、過剰の水分を含んだ木材です。それは、発掘した後何らの処置なしに放置しておくとひび割れが発生し、しまいには、もとの形状がわからなくなるくらいにまで収縮し、変形してしまう性質があります。いわば考古遺物のなかの救急患者で、しかも大型かつ大量のものを保存処理する術は、当時の日本ではまだ知られていませんでした。木材ばかりでなく、漆製品や繊維製品、石器・土器・瓦、そして金属製品など、人間の生活にかかわるあらゆる遺物が保存処理の対象となりました。錆で覆われた金属製遺物は、当然のようにX 線透過写真を撮って原形を確認します。X 線は1895 年にドイツのレントゲンによって発見され、当時からすでに油絵の透視撮影が試験的に行われていたと伝えられています。日本では、1935 年に文化財の分野では初めてX 線透過写真が撮影されました。大阪府高槻市・阿武山古墳から出土した夾紵棺(きょうちょかん)です。それは麻布を漆で固めながら何枚も重ねあわせてつくった強力だが軽量化した棺でした。その蓋をあけることなく内部の状況を透視観察したのです。金糸・銀糸による刺繍を施した冠や玉枕などが確認され、藤原鎌足の墓ではないかといわれている古墳です。こうしたX 線による観察が普通に行われるようになるのは、70 年代にはいってからのことです。