化学:元素が彩る暮らしと未来
元素科学への誘い“Chemistry is all around us”

理化学研究所フロンティア研究システム
玉尾 皓平

 平成17年3月まで京都大学化学研究所に在籍していましたが1年早く辞め、現在、埼玉県和光市にある独立行政法人理化学研究所に勤めております。私たちは平成12年度に文部省中核的研究拠点(COE)形成プログラムの化学分野での第5番目として「京都大学COE 元素科学研究拠点」、研究題目「元素科学:元素の特性を活かした有機・無機構造体の構築」(平成14年度以降は文部科学省の特別推進(COE)に変更)(代表者:筆者)が採択され、京都大学化学研究所から8名、理学研究科1名、工学研究科1名の10名の研究チームが発足し、16年度までの5年間、研究を推進してきました。この間、多くの研究成果をあげていますし、この成果をもとに15年度には「元素科学国際研究センター」が化学研究所に附置され、元素科学研究の研究拠点として物質創製科学をリードしてきました。
 本シンポジウムは、元素の特色に着目した新物質創製と新機能を創出するための私たちの研究の成果を広く社会に公開し、化学の重要性を国民の皆さんにご理解いただくことを目的に開催いたしました。これが、私たちの研究活動へのご理解および科学技術研究へのご支援を賜る機会となればと念じるものです。

Chemistry is all around us !

 身の回りの物質(もの)は、私たちの身体を含めて、すべて80数種類の元素の組み合わせでできあがっています。元素の原子が結合しあって分子を形成し、分子が寄り集まって物質となり、種々の機能を発揮します。その元素の特性を知り、新しい物質をつくりだし、新しい機能をひきだすのが化学者(Chemist)の使命です。
 化学は、自然を知り、そこから得た知識をもとに豊かな文化・文明を築く学問です。化学の大きな力は、新しい物質を創製することにあります。私たちの豊かな暮らしは、元素の特性をもとに化学者の英知によってつくりだされた人工物で支えられています。身の回りの物質は、ほとんどすべて化学でつくられているということが、私たちがもっとも伝えたいことです。たとえば、この部屋をみても化学者の手が加えられていないものは、ほとんどありません。すなわち、“Chemistry is all around us !”です。化学の恩恵をしっかりと受け止めていただければと思います。

新しいコンセプト「元素科学」

 ここで、もう少し学問的というか研究内容について説明をさせていただきます。それは私たちが提唱してきた「元素科学」という新しいコンセプトにつながります。化学は、あらゆる物質の構造、反応、物性、機能を研究する学問領域です。本研究プログラムに参画した研究者は、特に新しい物質を創製し、新たな物性・機能を見出し、人類社会をより豊かなものにすべく研究に取り組んできました。新しい物質をつくりださなければ科学技術の進歩はありえません。新しい物質をつくりだす化学は、あらゆる物質科学の基盤的学問です。情報、環境、バイオ、ナノテクなど重要な分野もすべて物質創製科学の研究が先導しているといっても過言ではありません。私たちの暮らしを彩る物質、それは言い換えれば、元素の特性で彩られた私たちの暮らし、そして未来ということになるでしょう。
 そして、化学という学問の概念としては、すでに物質を機能面から研究する物質科学(マテリアルズ・サイエンス)と、分子の特性を研究する分子科学(モレキュラー・サイエンス)という概念が定着しています。しかし、その分子を構成する原子(元素)の特性をもっとよく見極め、物質創製に活かそうという概念を表す言葉がありませんでした。そこで私たちは、分子や物質を構成する根源は元素であることから、コンセプトとして「元素科学(エレメンツ・サイエンス)」という概念を2000 年に提唱しました。物質科学、分子科学、元素科学という3 本の柱で物質創製科学全体に正しく取り組むことができます。

ケイ素の特性を活かした機能性物質の創製

 私たちはケイ素や窒素を含む新しい分子の創出を目指してきました。たとえば、ケイ素の特性に基づいて分子設計を行い合成法を開発し、電子状態の解析と分子軌道計算、光物性解析などを行いました(図1)。これらを通じて、シロール環の特性、機能を決定づける重要な特定元素は、ケイ素であることを明らかにしました。このケイ素が炭素と組み合わさって、さらに窒素が一部つくことによって新しい物性が発現しています。このように、物質を合成していく段階で、特定元素の役割をもう一度見極めることが、元素科学の基本的な考え方です。それが物質科学につながります。
 図1で新しく合成した物質は、高性能の有機EL 発光素子の電子輸送剤としても使えます。最終的には携帯電話などのフルカラー・ディスプレイとして実用化につながります。元素科学、分子科学、物質科学が情報を往き来させつつ新物質創製に役立っています。
 以上のことを、もう少し具体的に説明します。図1 は、後ほど発表される山口茂弘さんとの共同研究によるものです。元素科学の観点からみると、シロール環と同じような5員環の炭素化合物と比べると、シロール環では電子の入っていない軌道の一番低い最低空軌道(LUMO)のエネルギー準位がきわめて低くなります。このことは、この化合物が電子を受け入れやすいことを意味しています。これが特定元素の役割解明ということです。そのようなことがわかれば、新しい合成法を開発して、前述のように有機EL発光素子の実用化につながる物質創製へと発展します。これが簡単な元素科学、分子科学、物質科学の一環となった考え方の一例です。

普遍的な元素選択則の抽出と提案

 私たちは、元素科学の考え方として、いわば普遍的な元素選択則を導きだし、今後の物質創製科学に役立てようと考えています。その一例を図2 に示します。ここに示した2 つはまったく違う分野で、ひとつは遷移金属酸化物の導電体であり、もうひとつは生体内の鉄・硫黄化合物による硫黄転移反応です。どちらも鉄を含んでいます。片や鉄の酸化物であり、片や硫黄のついた硫化物錯体で、片や導電体であり、片や硫黄転移反応を起こします。その中身を詳細に解析すると、酸素や硫黄から鉄への電子移動があり、Fe4+がFe3+に還元されて遷移金属酸化物導電体では酸素上に電子が1個だけ残って、穴が1個あいた状況が導電性機構の根源であることが見出されました。また、生体内の鉄・硫黄化合物の場合、硫黄の部分に1 個だけ電子が残ったのが活性種となって、硫黄転移反応を促進するといわれています。
 このように、基本的な部分は非常に共通しています。この現象は、鉄に16族元素の酸素や硫黄などが結合したときに普遍的に現れ、それが導電性につながったり、配位子の硫黄の転移反応につながっていきます。
 このようなことを導きだすことがヒントとなって、新しい物質創製のアイデアが浮かんできます。そのようなことを今後も広く求め、さらに提唱していきたいと思っています。

元素科学国際研究センターの概要

  2003年4月に京都大学化学研究所に附設された元素科学国際研究センターでは、典型元素機能化学、無機先端機能化学、遷移金属錯体化学、光ナノ量子元素化学という4 研究領域と、外国人客員と産業界からお呼びする2 つの客員領域、いわゆる国際連携および産学連携を含めた研究体制を整えてきました。すでに、分子科学研究所、名古屋大学物質科学国際研究センター、九州大学先導物質化学研究所と連携しています。それらの連携機関から巽教授、成田教授においでいただいてご講演をお願いしています。また、中国科学院化学研究所などとの国際連携も深めています。このような活動を通じて、元素の特性を生かした新物質創製研究を強力に進め、元素科学研究の世界の中核拠点としてリードしていきたいと思っています。
 元素科学、分子科学、物質科学が三位一体となった新しいパラダイムの構築を目指して、今後もこの活動を続けていきたいと考えています。新しい物質創製における元素の役割の重要性と、それに着目した化学者の不断の努力をぜひご理解いただき、ご支援を賜ればと思う次第です。