脳とこころ、うつ病−2006世界脳週間の講演より−
 今まさに知的革命が進行中です。自分の脳の誕生の仕組みを、自分の脳で解明することが進んでいます。これは非常に不思議なことです。皆さんは、自分の脳で、自分の脳がどのようにできるのかを理解できつつある時期にいます。脳の仕組みがわかりつつあるなかで、自分のこころをどう育てていけばよいのでしょうか。教育と科学は非常に近くにあるということを、今日の話の主題としてお伝えしたいと思っています。

脳の誕生と成長
 ヒトの脳は、胎生期から思春期ころまで大きく変化します。お母さんのおなかのなかにいるとき、神経細胞はさかんに分裂して、脳のしかるべき場所に移動し、軸索や樹状突起を伸ばして神経どうしでネットワークをつくっていきます。このネットワークを使って物事を処理し、生命を維持しています。そして興味深いことに、ネットワークをつくることができなかった神経細胞は、自然に死んでいきます。つまり、神経細胞のもとになる幹細胞や神経前駆細胞が分裂を繰り返して胎生二十週をすぎると、幹細胞はほとんどなくなり、神経細胞の増殖はとまってしまい、神経細胞は誕生した場所からそれぞれ予定された場所に移動していきます。この移動を調節する遺伝子についても、いろいろとわかるようになってきました。そして、いくべき場所に落ち着くと、細胞体から軸索と樹状突起が伸びますが、そこにもさまざまな種類のたんぱく質が関与しています。この軸索と樹状突起を介して、ほかの細胞といろいろな情報を交換して、どんどんネットワークをつくっていき、神経ネットワークは二十歳代に完成します。
 脳のいろいろなところにある神経細胞が活動している様子を、神経細胞が栄養源であるグルコースを取り込むことを利用してポジトロン断層法(PET)という装置で調べると、四歳から十歳ころまで活発にグルコースを取り込んで活動していることがわかります。その後、活動が減って、成人型の脳にほぼ収まるようになります(文献1)。
 では、脳が完成する二十歳までのあいだに脳ではどのようなことが起こっているのでしょうか。
 神経細胞が軸索と樹状突起を伸ばし、ほかの細胞とどんどん連絡をとるためのシナプスをたくさんつくり、その後、ほかの神経細胞と連絡をとれなかった神経細胞が死んでいったり、余分なシナプスもどんどん刈り込むように調整して、神経細胞はしかるべき部位と互いに連結するようになります。このような、脳の成長にとって非常に大事な時期に高校生の皆さんはいることが、脳科学によって明らかになっています。

脳の成長と情報の伝達速度
 脳が非常に未熟な状態で誕生することが、ヒトの大きな特徴です。生まれたのちに脳が発達し続けることで、ほかの動物にはない能力を獲得することができるようになっています。その一例として、神経細胞が情報を伝達するスピードが生後どんどん速くなっていくことについてみてみます。
 情報は、細胞体からでた軸索を通って、シナプスから次の神経細胞に伝えられます。この情報を伝える軸索には特別な構造があります(図1)。つまり、軸索には刀の鞘のようなミエリン鞘しょう(髄鞘ずいしょう)と呼ばれる構造がつくられていきます。ミエリン鞘ができると、それまでは自転車をこぐくらいのスピードで伝わっていた情報が、新幹線ほどのスピードで伝わるようになり、伝達速度が大幅に速くなります。生まれたばかりの生後十九日ころの赤ちゃんには、ミエリン鞘ができている軸索(有髄)と、まだできていない軸索(無髄)とがあります。