遺跡の年代を測るものさしと奈文研
はじめに
松村 恵司 奈良文化財研究所所長


本書は、二〇一四年一〇月二五日に有楽町朝日ホールで開催した奈良文化財研究所特別講演会「遺跡を測るものさしと奈文研」の記録集です。この東京講演会は、日ごろ関西を中心に活動する奈良文化財研究所(以下、「奈文研」と略す)の業務や調査研究の成果を、広く関東の皆様にご紹介するもので、今回で六回目を迎えました。毎回切り口をかえて、文化財研究の魅力、面白さを皆様にお伝えしたいと考えています。今回は、「遺跡の年代を測るものさしと奈文研」と題しまして、奈文研がこれまでつくりあげてきました考古学的遺物の年代学的研究の成果、タイムスケールづくりをテーマに取り上げました。
奈文研は、実物に即した文化財の総合的・学際的研究をおこなうとともに、その成果を文化財行政に活用するために、文化財の宝庫である奈良の地に一九五二年に国によって設立された研究所で、「奈文研」の略称で広く皆様に親しまれています。考古学をはじめ、文献史学、建築史、庭園史、保存修復科学、環境考古学、年輪年代学、文化的景観学などの多彩な分野の研究者が、協力し合って調査と研究に従事しており、これまでに多くの成果を生み出してきましたが、そのなかでも重要な業績の一つが、発掘した古代の遺跡や遺構がいつのものなのかを明らかにするための、土器や瓦の年代学的な研究の成果です。
平城宮跡や飛鳥藤原宮跡の発掘調査を進めるなかで、発掘した遺構や遺物がいったいいつごろのものなのか、その年代決定が最大の懸案課題となります。たとえば、平城宮跡だけでも七四年間存続し、元明天皇から桓武天皇まで八代の天皇の皇居でしたから、発掘された遺構や遺物の年代を比定しなければ、発掘資料を奈良時代史のなかに正確に位置づけることができません。これは文献史料によって歴史が叙述される歴史時代を対象とした研究では当然の最重要課題です。飛鳥藤原宮跡の発掘調査でも同様です。そこで、発掘調査の始まった草創期から、土器と瓦の型式分類作業と編年研究が精力的に行われてきました。幸い紀年名をもつ木簡との共伴関係や六国史などの文献史料に記された記録を手がかりに、土器や瓦の相対編年に実年代を当てはめる可能性に恵まれ、その精度を高める試みを続けてきました。
関東地方をはじめ全国各地では土器の型式の先後関係、すなわち相対編年はわかっても、絶対年代はなかなかわからないのが実情で、全国から平城宮や飛鳥藤原地域の土器編年が基準資料として注目される由縁です。
昭和四一年に文化庁文化財保護部から『発掘調査の手引き』が刊行されました。最近はその新しい版がでておりますが、昭和四一年に発行された『発掘調査の手引き』は、全国の発掘調査を進めるうえでバイブルとなった貴重なもので、その巻頭に平城宮跡の内裏の東側を流れる東大溝の土層断面の写真が掲載されており、それに「層位と絶対年代」というキャプションがついています。残念なことに、本文中に詳しい説明はありませんが、本文中にその断面の実測図が二度にわたってでてきます。その土層断面図には、一番下の層の年代が「天平元年(七二九)」、その上の層が「天平勝宝」、実年代で七四九〜七五七年と書いてあり、そのさらに上に「天平宝字(七五七〜七六四)」と年代が記入されています。これをみた学生時代の私は「わぁ、すごいなぁ。平城宮はこうした層位学的な発掘と出土した紀年木簡によってこんなに細かく年代がわかるんだ」と感動した覚えがございます。
いざ、実際に自分が奈文研に入所して、その二〇年後に東大溝を三〇〇メートル近くにわたって発掘する機会に恵まれました。そこで先の手引きを手本に分層発掘したのですが、なかなか手引きに示されたような理想的な土層堆積は確認できず、土層断面と木簡の年代が整合しないという事態に遭遇しました。よく考えてみたらそれは当然のことです。七一〇年に平城宮が造営されてから七八四年に廃絶されるまで、平城宮の基幹排水路であれば毎年毎年溝さらいされるはずで、自然堆積のまま放置されるようなことはありえないわけです。手引きにでていた土層断面は、たまたま溝さらいが完全ではなく、古い堆積層が溝底に残り、順次浅くなった結果であることがわかりました。層位偏重の危うさを身をもって体験したわけです。これも紀年木簡の出土があっての悩みです。一見、理想的にみえる平城宮の発掘調査も、そう単純なものではないということをご理解いただければと思います。
最近はタイムスケールの目盛が細分化され、それがどんどんどんどん細分化されていくと、それが時間差なのか、ものがつくられた産地の違いによる地域差なのかという見極めも大きな課題になっております。現在、平城宮の土器編年は一五年単位の細かい目盛ができていますし、飛鳥藤原地域でも二〇〜二五年単位でのタイムスケールができ上がっています。本書では、そうした最新のタイムスケールをお示しするとともに、土器や瓦の年代観の根拠や編年の有効性、限界性などを皆様にご紹介したいと思います。