文化財の保存と修復 3−伝統に生かすハイテク技術
文化財の保存と修復
見えないものを見る画像処理
三浦 定俊
独立法人文化財研究所東京文化財研究所保存科学部長
1999 年12 月に世界遺産に登録された東照宮、二荒山神社、輪王寺などの日光の文化財のなかでも、東照宮は徳川家康(1542 〜1616)を祀る神社として広く知られている。元和2(1616)年4月17日に駿府城で家康が亡くなると、幕府はその遺言により駿河久能山に葬ったが、一周忌に下野国都賀郡日光山に日光社殿(東照社)を造営し改葬した。東照宮が現在の姿に整備されたのは、3代将軍家光の寛永年間である。
陽明門は、東照宮境内の三神庫、神厨(御馬屋)などのある表神域と、本社、唐門などのある内神域の境界に建つ(図1)。正面の唐破風の下には「東照大権現」の額が掲げられていて、その裏に「元和三年三月廿八日」の刻銘があり、元和2 年に駿府城で亡くなった家康の霊を祀るため東照宮の社殿が建築されたことを示している。現在の陽明門は寛永13(1636)年に造られたものであるが、その後も陽明門はいくたびか修理を重ねていることが、残された修理記録などでわかる。ここでは、200 年近くも隠され、修理時のX線調査で発見された幻の絵の謎について述べる。
昭和46(1971)年の陽明門修理の際に、現在、立木牡丹の浮き彫りがある東側壁の羽目板をとりはずしたところ(図2)、下から錦花鳥の絵が現れた(図3)。顔料分析などの科学調査を行った結果、塩基性炭酸銅(岩緑青、岩群青)、塩基性炭酸鉛(鉛白)、硫化水銀(朱)などの顔料を用いていることが明らかになった。また、試料を赤外分析したところ、桐油や荏胡麻の油に相当する赤外吸収スペクトルがみられたことから、この絵は唐油彩色で描かれていることがわかった1)。
当然、西側壁の羽目板の下にも古い絵が残っていると予想されたが、西壁はすでに修理工事が終了していて羽目板をとりはずすことができない(図4)。
そこで同年12 月15 〜17 日の3 日間と翌年5 月31 日〜6月3日の4日間の2回にわたりX線透視撮影を行ったところ、予想通り別の絵が現れた(図5)。(以下本文へ)