第12回「大学と科学」文化財を探偵する
正倉院における自然科学的な調査の歴史については、今ここで詳しく触れる余裕はありませんが、戦後間もない1948 年に外部の研究者に薬物の調査を委嘱し、ここで早くもX 線回折などが利用されています。また1960 年代の終わり頃には事務所にX 線透過装置が導入され、漆工品の素地、あるいは木工品の組み手などの解明に活用されるようになりました。
正倉院では1972 年から宝物の模造製作事業を開始しますが、模造品は外見のみならず、製作技法、材料なども可能なかぎりオリジナルの宝物に近づけるべきだという考えから、1982 年、83 年に宝物の非破壊調査を前提としてX 線回折装置・蛍光X 線分析装置が順次導入されました。
その結果、宝物の無機材料、すなわち金属、石材、顔料などについてさまざまな知見がえられるようになってきました。
X 線回折と顔料の調査
X 線回折法は波長一定のX 線を試料に照射し、回折X 線の強度や、回折角を調べることにより、結晶性化合物の種類などを明らかにする方法です。
図1 は伎楽面の頭に塗られた白い顔料を分析している様子です。頭の左上がX 線管球、右上が検出器で、測定平面に対し、X 線管球と検出器が同じ角度を保ちながら回転するゴニオメータを備えています。
一般的なX 線回折装置のゴニオメータはX線管球を固定し、試料台と検出器を回転させる光学系を備えています。しかし、このタイプの装置は通常、試料を採取して細かく砕き、これを試料ホルダーにのせ、試料台に装着する必要があります。正倉院の宝物は試料採取が困難なので、そのようなタイプの装置は利用できません。そこでX 線の専門メーカーに依頼し、測定対象には何も手を加えず、しかも静置したままで測定が可能な文化財専用の装置を製作してもらいました。
この装置を用いて、現在までに約100 点の彩色宝物について調査を終えています。今のところX 線回折で直接化合物が確認されているものが16 種、またX 線回折では確認されるにいたらなかったものの、蛍光X 線分析などのデータとあわせると、化合物の種類がかなり確実に推定できるものが2 種あります。表1 にこれら顔料の一覧表を示しました。
ここにあげたもののなかには、もちろん従来の古代の顔料調査によって、その存在が予測されていたものもありますが、その一方、従来古代の顔料としては知られていなかった化合物も少なくありません。白い顔料である3 種の塩化物系鉛化合物(塩化鉛、塩基性塩化鉛、酸化塩化鉛)やリン灰石、緑の顔料である塩基性塩化銅などがその例です。
鉛系白色顔料をめぐって従来ある白色顔料が、その主成分元素として鉛を含むことが明らかになったり、あるいはX 線を透過しにくかった場合、その顔料は鉛白すなわち塩基性炭酸鉛と推定されていました。ところが正倉院の彩色宝物について、実際にX 線回折を行うと、鉛の白色顔料としては鉛白よりも3 種の塩化物系鉛化合物のうちのいずれかが検出されることが多いことが明らかになりました。
『日本書紀』持統天皇6 年(692)の記事には「戊戌、賜沙問観成、●十五匹・綿三十屯・布五十端、美其所造鉛粉」とあり、これはわが国で鉛白の製造を開始したことを記念する記事と考えられてきました。
鉛白は天然にある岩石鉱物を砕いてつくった顔料ではなく、鉛を原料とする人造品です。(以下本文へ)