第13回「大学と科学」生きている地球の新しい見方−地球 生命 環境の共進化−
ここでご紹介するのは『全地球史解読』という分野の枠を越えた総合的研究プログラムの成果です(表1)。この研究プログラムの本来の狙いは、全地球の全史を全解読しようという野心的な目標を掲げ、古い時代の地層という物証に基づいて、その解読に必要な方法を模索し、開拓しながら、できることから着実に研究を積み上げていく一歩を画するというものです。また、教科書的な律儀な目標として、地球の中心にある鉄でできた核の状態から地球をとりまく宇宙の環境までをひとつのシステムの歴史としてとらえ、おぼろげにでもわかったことをほかの人々にもわかってもらえるように表現するということもあります。しかし、本音はそれだけではなく、地球という私たちの命を生み育ててきた母の生い立ちの歴史を学んで知り、われわれはいったいどこからきた何者で、どこへいくのか、私たちの娘や孫娘たちの将来行く先も照らしてみたいものだ、という気分もおおいにありました。
新しい地球観を求めて私たち地球の生命は、40 億年ほど前に地球で生まれたため、そのくらい昔の地球の歴史から考えることには大きな意味があるでしょう。たまたま、私たちは地球科学の研究者であると同時に生身の人間でもあるので、地球と生命をつないで理解したいと考えています。
太古代の大気は二酸化炭素で、地球の海は水でできていたため、地球上にもっともありふれて豊富にある元素は、水素と酸素と炭素です。それらがひとりでに組合わされてできる分子のうち、自己触媒機能をもって、自分を複製できるものができたのは、おそらく海底火山付近の地下にある割れ目のなかだったと推定されています。そこでは、無機塩類を含む100 ℃以上の高温の水が循環していたでしょう。この全地球史解読研究では、その証拠ではないかと推定される有力な試料を見つけましたが、そんな発見の話も聞いていただきます。
全地球史解読計画は成立するか?
こうしてできた有機分子の40 億年ほど後の子孫が、われわれヒトです。いわば私たちは地球そのものの一部で、そこに生えたコケみたいな存在だったと考えられます。そのようなものが40 億年を経て知性を備え、世界とは何か、宇宙とは何か、自分は何者かなどという疑問をもって答えようとすることになりました。つまり、地球を全体としてみると、その一部分が知性をもってしまった、もっと極言すれば、地球が自分は何かと問うようになったともいえるのではないでしょうか。
このように考えると、死生観を、もっと広い立場で生命観、地球生命観、さらに地球観、宇宙観のなかに位置づけないと、ほころびがでてしまうでしょう。
ところで、地球や生命の起源や進化については、神話や聖書の教養や考え方、生活のなかにもまだ染みついています。西欧諸国や日本のように近代的な社会においても、忙しい大人は、昔、学校で学んだ知識をもったままで、それは更新されないのが普通です。科学研究の現場にいる研究者でも、ちょっとよそ見をしていると、自分の専門領域のことでさえ、たちどころに理解できなくなってしまいます。(以下本文へ)