沖縄社会と日系人・外国人・アメラジアン−新たな出会いとつながりをめざして−
はしがき
琉球大学法文学部教授 安藤 由美


 日本では一九九〇年代以降、外国人や日系人などの移住の急増に象徴されるグローバル化が進行しているのに伴って、こうした人びとについての学術研究や、また彼らと日本社会の共生や協働実践への取り組みが活発に行われるようになっている。こうした動向に照らすと、沖縄では、そうした取り組みはおろか、内部のエスニック・マイノリティーの剥奪状況や民族関係をほとんど問うてこなかった。その背景には、沖縄自体が、明治十二年の琉球処分を契機に近代日本の中央集権国家体制に組み込まれて以来、これまで日本社会のマイノリティーとして処遇されてきたという歴史的経緯があった。加えて、沖縄が戦後長期にわたって米軍統治下におかれ、沖縄に居住する外国人の圧倒的多数がアメリカ人、しかも米軍関係者であった(現在もそうである)という特殊事情も、支配・搾取される沖縄ばかりが常にクローズアップされてきた要因であろう。
 しかしながら、実は沖縄は、日本本土と比較した場合、いくつかの点できわめて特殊で、多様なエスニック集団を含む社会であるといえる。まず、広大な米軍基地を抱える沖縄には、アメリカ人だけでなく、基地産業に関連して沖縄に来た、複数のエスニック集団(フィリピン、インドなど)があるし、またアメリカ軍人と日本人とのあいだに生まれた「アメラジアン」と呼ばれる人たちが存在する。加えて、かつて沖縄から送りだした海外移民の子孫たちが、今、日系人として来住し定住している。そして、沖縄が中国南部(福建省)や台湾に近く、長く交流を重ねてきた地理的・歴史的特性を反映して、中国や台湾からの移住者も少なくない。こうした人びとのことを、沖縄がホスト社会としてどのように処遇してきたのかは、案外知られていない。われわれにとって必要なのは、まずこうした沖縄のエスニック・マイノリティーについて知ることである。その上で、彼らの生活上の課題をお互いに理解し共有するためのネットワークづくりや、行政・地域社会からのサービス・支援について、議論していくことが求められているといえよう。
 上述のような状況を踏まえて、私たちは、国境を越えた移動の結果として沖縄に居住しているエスニック・マイノリティーの人びとと沖縄社会との関係性を解明し、またそれの改善に向けた議論を行うべく、『沖縄社会と日系人・外国人・アメラジアン─新たな出会いとつながりをめざして─』と題するシンポジウムとワークショップを、平成十七年十一月二十六日および二十七日の二日間にわたって琉球大学で開催した。本書は、このシンポジウムとワークショップ(以下、本事業)の模様を収めたものである。
 本事業は、まずは母体となる文部科学省科学研究費助成研究の成果発表を目的としたものであった。しかし、私たちは、この事業をただたんに関係者の方々を招いて、われわれの発表を聞いていただくだけのものとするつもりはなく、異なる民族的背景や事情を持つ人びとが出会い、共通の問題を話し合い、将来に向けてネットワークづくりができる場として提供したいと考えた。というのも、日系人(ペルー、ブラジル、アルゼンチンなど)、定住外国人(アメリカ、フィリピン、インド、中国)、そしてアメラジアンの人たちは、われわれの目からみて、ある程度共通の体験をしていながら、日頃からあまり交流はないというのが、われわれの調査で得た知見の一つであったからである。
 そこで、本事業は、学術研究の成果発表に加えて、エスニック集団のネットワークづくりの現場の声や自治体の取り組みをシンポジウム形式で報告してもらい、さらに、日本人、日系人、外国人という立場の違いを超えて、お互い情報交換をし、一緒に議論するためのワークショップを第二日目に含めるというプログラム構成をとるに至った。この催しが、シンポジウムに加えて、ワークショップの呼び名がついているのは、こうした趣旨によるものである。
 本書の章立ては、おおむね当日のプログラム進行にそった配列となっているが、ここに収録
するにあたり、順序を一部入れ替えてある。また、用語の表記や使い方は、専門研究者のあいだで違いがみられるものもあるので、本書においても、執筆者間での統一は最低限にとどめた。このほかに、当日会場で展示されたパネルをはじめとして、本研究に関連する事項を、コラムや写真として挿入した。沖縄社会のエスニックな多様性についての理解の一助となれば幸いである。