脳を知る・創る・守る・育む 9
 私たちはシステム生物学を対象としていますが、研究には、生命科学だけではなく物理や数学などさまざまなバックグラウンドをもった研究者の参加が必須で、そのような研究者が集まっていることが、私たちの研究室のユニークな点の一つです。本日は、物理出身の浦久保秀俊君と今年(二〇〇六年)四月から参加した学生の本田稔君、カリフォルニア大学サンフランシスコ校のロブ・フロムキー(Rob Froemke)さんとの共同研究についてお話しします。
 まず、神経可塑性とは何か、何のタイミングか、タイミングを検知して何がうれしいのかを簡単に紹介します。次に、神経細胞の電気的なスパイクの微妙なタイミングを利用して私たちが学習・記憶をしていることがわかっていますが、神経細胞がスパイクのタイミングをどのように検知しているかは不明でした。そこで、私たちはシステム生物学という実験とコンピュータ・シミュレーションを組み合わせた方法論で、NMDA受容体にアロステリック効果があることを予測して、実験でNMDA受容体がアロステリック効果をもつことを検証し、それによってスパイクの微妙なタイミングを検知して記憶・学習ができるということをお話しします。

神経細胞での情報伝達

 脳の機能を理解するうえでのさまざまなレベルがあります(図1)。一番基礎的なレベルは分子で、分子が集まって神経細胞(ニューロン)ができ、神経細胞やグリア細胞などが集まって脳という組織ができて、私たち(個体)は脳に依存して日々の生活を送っています。個体が集まって社会が形成されています。社会との関係で、現在、脳とこころの問題などが注目されているわけです。
 これまでの脳研究は、分子は分子だけ、細胞は細胞だけを対象にしていました。脳のある領域だけを研究しても、その領域について理解することはできますが、こころと分子との接点といったことは研究上なかなかみえてきませんでした。その接点がみえてきたのが二十一世紀です。それゆえ、今世紀は脳の世紀といわれています。しかし、すべてのレベルを同時につなぐことはできません。
 そこで私どもは、分子とニューロンのあいだのシナプスの可塑性に着目しています。
 図2は、ニューロンとシナプスを模式的に表した図です。一つのニューロンのなかでは情報は電気的な信号、すなわち活動電位(アクション・ポテンシャル)でやりとりされます。この活動電位は、金属中を電子が流れるのではなく、ニューロンのなかを主に一価のプラスイオンが流れることで起こります。細胞外には一価のナトリウムイオンが多く、細胞内にはカリウムイオンが多く存在しており、ニューロンの細胞膜にはさまざまなイオンを選択的に通すチャネル分子が埋め込まれています。そして、ナトリウムイオンチャネルが開くと、細胞外からナトリウムイオンが細胞内に流入して膜電位が上がります。
 それに遅れて、細胞内からカリウムイオンが細胞外へ流出することで細胞内の電圧がもとに戻っていきます。
 活動電位(情報)が次のニューロンに伝達されると、興奮性シナプス後電位(EPSP)という膜電位が少し上がる現象が生じます。信号を受け取ったニューロンのEPSPがある閾値を超えると発火して、次のニューロンへ情報を伝達していきます。
 ただし、ニューロンどうしはシナプス終末部で直接つながっているわけではありません。まず、一つのニューロンの前シナプス終末で膜電位が上昇すると、シナプス小胞から伝達物質がシナプス間隙に放出されます。興奮性のニューロンの場合、グルタミン酸が放出されて、後シナプス終末にあるグルタミン酸受容体であるAMPA受容体やNMDA受容体に結合すると、後シナプス終末の膜電位が少し上がります。このような情報のやりとりをニューロンどうしが行っています。