下痢の細菌を追っかけて五〇年 それは腸炎ビブリオから始まった
第一章 医学部へ進学 9
一 結 核 11
二 疫 痢 13
三 「医学部へ進学したのは何故ですか」 16
四 再び結核 17

第二章 藤野恒三郎先生の弟子となる 19
一 細菌学の講義 21
二 通訳案内業 22
三 腸炎ビブリオの分類学の研究 23
四 藤野恒三郎先生 27
五 魯迅の『藤野先生』 30
六 司馬遼太郎の『花神』 32
七 松茸狩 34
八 シラス中毒事件―腸炎ビブリオの発見 38
九 藤野先生が朝日賞を受賞 43
一〇 幻の善光寺詣り 44

第三章 米国留学 47
一 分子生物学への憧れ 49
二 ボストン 50
三 リタ・コルエル 52

第四章 大阪大学微生物病研究所時代 57
一 腸炎ビブリオの耐熱性溶血毒―精製と心臓毒性 59
二 旅行者下痢症 62
三 毒素原性大腸菌とは 64
四 大阪空港検疫所 65
五 易熱性エンテロトキシン(LT) 67
六 微研テスト 69
七 耐熱性エンテロトキシン(ST) 70
八 ジャック・クレイグ 72
九 WHOの下痢性疾患制御プログラム 77
一〇 ジャンポール・バツラー 78
一一 バングラデシュへの旅 82
一二 バングラデシュ国際下痢疾患研究センター(ICDDR,B) 87
一三 インド国立コレラ及び腸管感染症研究所(インド国立コレラ研究所、NICED) 90
一四 バラクリシュ・ナイール 94

第五章 東京大学医科学研究所時代 99
一 細菌感染症研究部の教授に内定 101
二 ベロ毒素の精製 103
三 新しいベロ毒素の発見 104
四 ベロ毒素の作用機序 107
五 日米医学協力研究会 108
六 島尾忠男先生 114
七 アデル・マームーとジョン・ラモンターニュ 117
八 東宮御所 120
九 日沼頼夫先生 122

第六章 京都大学医学部微生物学教室時代 125
一 新型コレラ菌O139の発見 127
二 浦和市の某幼稚園での集団下痢症 130
三 腸管出血性大腸菌検査技術講習会 132
四 日本細菌学会 134
五 国際微生物学会連合 137
六 乗鞍高原医学生セミナー 140

第七章 国立国際医療センター研究所時代 143
一 高久史麿先生 145
二 JICA/インド国立コレラ研究所プロジェクト 148
三 堺市の大食中毒事件とカイワレ大根 150
四 汎太平洋新興感染症国際会議 152
五 ある青年の死 159

第八章 「伝染病予防法」の見直し 161
一 新興再興感染症 163
二 公衆衛生審議会伝染病予防部会基本問題検討小委員会 164
三 忘れられないエピソード 168
四 不毛な議論 170
五 SARS(重症急性呼吸器症候群)の流行 172

第九章 国立感染症研究所時代 175
一 突然の移動命令 177
二 感染症発生動向調査(サーベイランス) 178
三 実地疫学専門家養成コース 180
四 妻の闘病と死 181

第一〇章 岡山大学インド感染症共同研究センター時代 185
一 感染症国際ネットワーク推進プログラム 187
二 VBNCコレラ菌の研究 188
三 赤痢ワクチンの開発研究 192
四 急性下痢症の積極的動向調査 194
五 プロバイオティクスによる急性下痢症の予防 197
六 新型コレラ菌・エルトール変異型の研究 200

第一一章 思い出の海外旅行 203
一 「コッホが訪ねたダージリンへの旅」(いずみ、一九九一) 205
二 「バングラデシュのリキシャマン」(いずみ、一九九二) 208
三 「ラズベリー」(感染症、一九九四) 210
四 「カウント・ダウン」(Medicament News,一九九四) 211
五 「ヤンゴン・パガン・マンダレー」(いずみ、一九九六) 213
六 「ジュネーブの休日」(日本医師会雑誌、一九九六) 215
七 魔の山のサナトリウム 217

第一二章 私の考え 219
一 研究者はいかにあるべきか 221
二 いかなる研究をするべきか 223
謝 辞 227
経歴・実績 230